本文
| 失われた山里 四徳 |
|
|
|
| 2007/03/17 土曜日 00:00:00 JST | |
未曾有の災害により失われた山里 四徳
四徳地区は中川村の東に位置し、かつては小渋川の支流である四徳川に沿って100戸余の人家があり、500人近い里人が暮らしていました。 伊那山系の山深い奥地の集落がいつどのようにして発生し形づくられたかは不明ですが、全国の辺地といわれている所に必ずといっていいほど語られる、いわゆる平家の落人伝説がこの四徳にも伝えられています。古い記録によると「建保2(1214)年頃、集落の中ほど辺り中村の地に、当時の里人が産土神(うぶすなかみ)として建御名方命(たけみなかたのみこと)を奉斎して社に祀り村の氏神とした」(現在の四徳神社)とあり、鎌倉時代の初期頃には既に集落をつくって暮らしていたことになります。 700年以上続いた山里も、昭和36(1961)年6月の梅雨前線集中豪雨により壊滅的な被害を受けました。当時の記録によると、6月24日から降り始めた雨は1週間にわたって降りつづけ(総雨量540ミリメートル)、被害にもっとも関係のある27日の日雨量は300ミリメートルを超え伊那地方では初めての記録でした。 この災害により、家、家財、耕地などすべての生活基盤が奪い去られたため、この地で再び生活を立て直すことは不可能と判断をし、全戸集団移住により駒ヶ根市、飯島町、宮田村、松川町などに新地を求めました。その後の復旧により今では災害の形跡を見ることはできませんが、四徳の里はそれ以来無人の里となっています。 |
| < 前へ | 次へ > |
|---|



